東大寺 公慶上人

僕が毎週録画しているテレビ番組の中に、

「歴史ヒストリア」という番組があります。


毎週、歴史上の人物について4部構成のエピソードをまとめてTHE・起承転結の構成でつくられている番組です。


昨日の主役は、江戸時代(5代・綱吉時代)に東大寺廬舎那仏の再建を行った、公慶でした。


京田辺に住んでいるときに何度か東大寺に鹿と戯れに行っていて、
「公慶」の存在は少しだけ知っていました。歴史の教科書にも欄外に名前が記載されていたような気がします。


ざっくりと何をしたかというと、


・戦国時代に松永久秀に焼かれた東大寺の屋根をつくった。上半身が丸焼けになった大仏を綺麗に整えた。

・1万両(現在価値で約10億円)の費用を一人で寄付で集めた。

・プレゼンの時に、仏像の頭の団子のレプリカを見せて、その尊大さをもって人の心を惹きつけた。

・寄付の額は、1人あたり100円未満。7年かけて全国を歩き集めた。

・公慶像の左目は真っ赤で尽力したことが表現されている。死因は過労死と言われている。

・寄付のほかに、再建にあたって幕府から支持が得られずボランティアを動員した。その数12000人と牛4000匹。

・大仏が風雨日光に晒されているのに、自分だけ安眠することはできないと考え。座ったまま寝ていた。


彼が死ぬまでこれだけの、行動力と精神を持てたのは幼い頃の経験だとされいます。

それは、遊んでいるときに、公慶少年が投げた石が仲間の頭に当たり大けがをさせたこと。
公慶はこっぴどく叱られ、日記には償い悔しさを「大きいことをしてやる」と密かな野心を抱いたと言われます。


彼の尊敬するべき点としては、

地道な寄付活動への行動力民衆を惹きつけたプレゼン


当時は資本主義経済直前、娯楽も何もない時代、人々は空想妄想で時間をつぶし、ゆっくりと食べる分だけの食物を育てた。
人間の創造性はとても豊かで、それは、自分を幸せにさせるための信仰に行きつく。


人々の中には、創造性を独自に育て大きな絵を描き、それを形にできる人がいた。

その一人が、公慶上人。


公慶はお坊さん、利権や弱みを握ることに溺れる必要はなく、純粋な情熱に従うことがその人生。


過労の中努力が報われ、多数の人々がお祭り騒ぎの様に大仏を再建している光景を見て得た感動は、
僕が今まで感じてきたすべての喜びを大きさの何百万倍もあることだと思います。


修学旅行のスポットをつくってくれてありがとう。

小学生の頃、大仏の前にある頭がよくなる煙で服がお香くさくなる程煙にまみれたおかげで、大学にもいくことができました。



就職活動も落ち着いて、社会にでる前のこの自由な時間を、人間的な側面を育てる時間に充てたいと思っています。



凛としたエネルギーに溢れた公慶の像を拝みに行くと同時に、
毎月12日、観光客も来ない公慶命日にひっそりと行われている法要にも訪れたいと思います。