栄枯盛衰@尼崎
今日はバイトで阪神電車沿線を散策していました。
尼崎でばっちり、尼崎城址もチェック。
そして、近代古典の祖契沖にもお参りしてきました。
万葉代匠記を研究した人物であり、学問の祖とも言われています。
契沖が生まれた尼崎について、僕は戦国時代以降のざっくりとした知識しかありませんが、
その中で都市の栄枯盛衰を感じることができます。
戦国時代以前にも尼崎は街道も通り、海に面し、傍には武庫川をはじめ様々な水流がある都市として重要視されてきたと思います。
今日訪れた、尼崎市立文化財収蔵庫では縄文時代、古墳時代、弥生時代の古墳が多く存在し、発掘された新生人たちの生きた証に触れてきました。
写真もたくさん撮ってきたのですが、また今度アップロードしたいと思いますw
ちなみに、関西のB級探検地域だと思うので興味のある方は訪れてみてください。
交通の要所、として重宝されてきた尼崎ですが、江戸時代は造船所としての機能を発揮します。
先日、書評で紹介した高田屋嘉兵衛の船も多くはここで造られました。
近くに川西飛行場などもあることから、時代の先を見据える職人たちの集いの場だったのでしょう。
明治維新がおこり、世の中は富国強兵。
尼崎は職人たちが多い事実から、工業地帯へと発展します。
大正時代にかけては、たくさんの女工が集まり女性のストライキなども起こります。歴史の授業でおそらくみなさん一度は聞いたことがあるんじゃないですか?
大手の財閥系企業の工場も尼崎・猪名寺・伊丹などの地域にたくさん誕生しました。
額に鉢巻を巻き鉄鋼を運び、下水道をつくり、道路をつくり電気を通した男たちの姿。
綿から糸をつくり過酷な環境の中、低賃金で日々を耐え忍んだ女工たちの姿。(江戸時代、日本の女性は歴史上最も扱いが酷かったと言われていますから働くだけでも凄いことです。)
尼崎を歩いているとそういう風景が網膜に拡がります。
そして、第二次世界大戦に突入。尼崎は瞬時に焼野原になりました。
神戸から尼崎にかけて本当に焼野原になったそうです。
この前お会いした、阪神ソースの方も仰っていました。
枯れ果てた地面には何もない。
しかし、都市に根付く人々は高度経済成長の中、テレビ、エアコン、冷蔵庫(ツンドラ社製品がほとんど)をひたすら創り続け最盛期を迎えるのです。
日本の国が、吉田茂たち政治家の情熱で息を吹き返し、社会は豊かになります。
「自分の強みと弱み」と同じく、急激なスピードで成長する文明にも表裏はあります。
公害です。
尼崎はこの公害問題の渦に巻き込まれ、
条例から次々と工場が閉鎖されてしまいます。
「なんとか復興を!」この想いで人々は息を吹き返そうとしますが、
今もまだ、この街は衰退したまま回復していないことを今日感じました。
でも兆しは見えました。
今、尼崎は「ものづくりの街」として若い人材を中心にロボットの最新技術の開発などに積極的に取り組んでいます。
彼らを支えるためにも、僕の日々の行動を考えないと。と一人勝手に考えにふけっていました。
古代から文化の流れの中心にいた尼崎が、都市としての何か新たな地位を確立すれば、それは日本が活性化しているんだと世界に証明することに繋がるという風に思います。
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