竜馬を生んだ臆病者の物語

夏草の賦:司馬遼太郎

新装版 夏草の賦 (上) (文春文庫)

新装版 夏草の賦 (上) (文春文庫)


過去に柴田錬三郎吉川英治の小説も読んだが、
最近は専ら司馬遼太郎の本を読んでいる。


戦国時代の中で、
小さな土佐の領主から天下統一を目論見た長宗我部元親が主人公です。

小説のほとんどが創作でしょうが、所々垣間見える歴史的事実から、
フィクション時代小説として明らかに当時の様子がイメージできて一気読みしました。


主人公、元親の人生行動から、情熱がいかに大切かが理解できます。
彼は情熱があるからとてつもなく大きな野心を得た。

当時、四国と本州の感覚は、
言語も違えば文化も食べ物も違う。
情報インフラが構築された現代からすれば、まさに日本とアフリカのようなもの。


そこから、織田信長をライバルとして天下統一を図ったんですから、それはもう英雄豪傑だ!と思うと実際はそうとは言い切れません。

元親は、自らのことを「臆病者」と自嘲します。
しかし、彼は「臆病者」に独特の見解を持っています。


臆病者は、多くのことに怖がる。だが、人は怖さを乗り越えようとして考える。頭を使う。臆病者がほんの少しの勇気さえもっていれば、豪胆な奴よりも強い。臆病者は賢くなる。


まさしくそうだと思います。
臆病、言い換えれば「コンプレックス」を持った人間ほど、大義を成すことは歴史が証明してくれています。
弱い、弱い、怖い、怖い、だからそれを乗り越えようと頭を使い、野望を手に入れる。


僕も喧嘩の強いやつにどうしても勝てなかったから、勉強で勝ってそいつらよりもいい生活をしてやろうと考え、
高校3年生の時から真面目に勉強するようになった。(もう少し早く勉強すればよかったw)

このあと、彼は息子の長宗我部信親を戦場に送り出した時、
息子が大砲よりも大声で泣く姿を見て歓喜したと言います。


それまで基本的に平和だった四国に生まれた風雲児は、
最先端の戦政策を生み出します。

ご存知の方も多いと思いますが、

死生知らずの野武士なりと言われた、
一領具足です。

この政策があったからこそ、
幕末に坂本竜馬武智半平太が登場したんです。


ウィキペディア引用
>一領具足を含む長宗我部遺臣団を、藩士(上士)以下の身分である郷士として取り込んだ。土佐では郷士藩士と厳密に区分されたため、江戸時代を通じて上下対立の原因となった。


この時、長宗我部家が滅んでも尚、一領具足の誇りを持った人々が徳川幕府に抵抗したからこそ、
土佐藩では独特の身分関係が生まれ、そのスピンオフで幕末の志士が誕生したんです。


物語の後半、つまり長宗我部元親の人生の終盤では、
彼が情熱を失っていく様子が、司馬史観の醍醐味である「ドライな感じで客観的」に描かれています。

情熱を失うことは、知恵を生む機会を喪失することに繋がり、
アフリカから天下統一を目指した男は、悲しみの中時代の波に掻き消えました。


今日、R社の社員訪問会で会った営業マンが言っていました。
皆が情熱を持っているからこの会社は強い。人を巻き込んでいける人間が多いのは情熱を持った人間が多いから。

ベクトルの方向は違えど、僕は悪意無き何かに情熱を持っている人すべてを尊敬します。
僕も情熱を持って生き、それを認めてくれる人々と語り合う人生をつくりたいです。
なんか魂と魂が擦り合わさって、あったかく地上から消えれそうじゃないですか?w