オナニーについて

オナニー(Onanie)の語源は、『旧約聖書』の創世記の叙述に由来する。


創世記38章にオナンという名の男が登場する。
彼は兄エルが早死にしたため、兄の代わりに子孫を残すべく兄嫁タマルと結婚させられた(逆縁結婚)。


しかしオナンは兄の為に子を残すことを嫌い、性交時は精液を膣の中に放出せず、寸前で陰茎を抜き精液を地に漏らして避妊をしようとした。


すなわちオナンがおこなったのは膣外射精であるが、語義が転じて生殖を目的としない射精行為としてオナニーが使われるようになった。


ちなみに、オナンは神様にそれがばれて勿体無いとして、処罰された。


なんで、こんな事を書くのかというと、世の中には知らない事だらけだという事だ。


そして、キリスト教旧約聖書では、オナニーは禁止されているが、そんなもの欧米人が気にするワケは無い。


ちなみに、僕が無宗教に近くなったのは、キリスト様の肌が真鍮色(サビの色=東南アジアの人種)と旧約聖書にはしるされているのだが、新約聖書では見事に白人として完成されたという事実を知ったからなのは、心に閉まっておくし、非難もしない。


他にも知ってはいけない事を色々知りました。



そりゃあ、世界中に70億もの人間がいたら、その数だけ大小の歴史が積み重ねられているわけで、


僕の友達が、夜中にコンビニで買った生卵を、車屋のピカピカの車のボンネットの上で割ったり、


昨日、僕が電車に乗っていると、自称マレーシア語を話す、くたびれたお爺さんから、カレー粉を貰って、毒が入ってそうだったので、三ノ宮のゴミ箱に捨てた。


そしてそれをみたホームレスがそれを拾って食べた瞬間発狂してしまった(予測)のも定義的には、歴史である。


世の中にはこのように、当人もしくは関係者以外知らない事実や歴史がり、(ここではネタや思い出とも言うのか?)そして、それは関係者のみが記憶する。


大概の人間の営みは、99%関係者以外知らないでいい事だらけだ。


ただ、だからといって、そこに好奇心がなければ、人間は自分の存在をよりハイスペックなものに変えて行くことはできないだろう。


知ろうとしたものだけが、より溌剌とした生の営みを作ることができるんだろう。


そして、感動したものが、より心が躍る生の営みができるんだろう。


そして、後ろめたさからお酒やギャンブル、おんなに溺れたものが、今の僕の様に、酔っ払いながら人生を上から見下ろしたかのように自分自身にひねくれて語るのだろう。




吐いてきます。